にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村 My NZ life. (Japanese Engineer in New Zealand)

My NZ life. (Japanese Engineer in New Zealand)

I am a Japanese living in New Zealand. This is a kind of diary.
ニュージーランド永住権取得、こちらでのエンジニアになるまでの道のり、生活ぶりを趣味活動も含めて綴ります。
<< August 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
プロフィール
Max
profilephoto
■Nickname:Max
■Age:As you guess by above picture
■Address:St Heliers/Auckland/New Zealand
■My favorites:Sports;Golf,Diving,Sccer,Discussion
西洋社会を自分で体感したくて、移住の比較的し易い
ニュージーランドを3回旅行し(写真はそのときのもの)
ここなら少しぐらい苦労してもいいかなと思えたのをきっかけに、
長年勤めた会社と住み慣れた日本を後にして2年がたちました。  
KIWI社会に溶け込む難しさを肌に感じながら本物を見に行ってきます。
  そこで。。

-------------------------------------------------------
趣味は、ゴルフとダイビング その目標は。。

  ゴルフ:今年中に普通のゴルフ場で70台を出すこと。
       パブリックでは何とか出したのですが。。。

  ダイビング:来期までに強力なスピアガンを購入
        しキングフィッシュ
        を仕留める。現在100本暗いかな。
        GEN's ダイブ式だと250本くらい
        潜る場所:4年位前まで⇒西表島(DayDream)
                    パラオ(DayDream)
             このごろ⇒NewZealand Leigh近郊
---------------------------------------------------------
もしかして、同じ出身校の方がいたりして。
いらっしゃったら連絡を。
豊島区南長崎生まれ
志木幼稚園
志木小学校
志木中学(サッカー部)
県立浦和西高校(サッカー部)
千葉大学工学部合成化学科(工学部体育科とも)サッカー部)
某自動車会社研究所勤務エンジニア:機械設計(サッカー部)
R&D Design Japan(設立)
現在ニュージーランド現地法人勤務

そういえばずっとサッカー部でした。
--------------------------------------------------------
独り言

何か自分の人生振り返ると、いつも人から見れば、いや日本の社会慣習、文化から見れば ”よせば良いのに”というような
ことの積み重ねだったような、そしてまた今もである。

中学入学のとき、
サッカーは当時まだ主流ではなかった。 が自分はサッカーで飯を食っていくんだと思い込んでいた。
自分を表現できるのはこれだけだと。なので進入部員としてサッカー部の選択に疑問の余地は無かった。
しかし、当時サッカー部にヤクザの息子が入部していて、毎日喧嘩が絶えないという噂が立っていた。
確かに毎日のようにしょっちゅう救急車が来ていた思い出がある。
そのためサッカー部の新入部員は自分ひとりだけであった。
小学校時代仲の良かった仲間を勧誘しても、それが理由で皆が好きなサッカー部入部を断念していた。
野球部、バスケット、卓球、水泳と方々に散っていった。
たった一人だけ最後のなって入部を決意してくれたやつがいた。
このときも皆にやめといた方が良いぞ。の否定的なささやきが聞こえてきた。
しかし、其のヤクザは実は野球部に居たという落ちである。
野球部に逃げていったやつらは、悲惨な目にあっていたのを今でも思い出す。
理不尽なうさぎ跳びの嵐であった。ははは。。
しかし、やはり部員が少ないのは大会に勝つのにはやはり不利であり、この状況では不可能であった。
そこで、今まで小学校で一緒にサッカーやってたやつ、運動神経超いいやつ、などなど片っ端から
勧誘しまくった。 毎日、毎日言い続けた。そのうちに段々と一人二人と余りしつこく勧誘するものだからか
何とか入部してきてくれた。11人集まったのは2年生になってからだったか。
同学年の運動神経抜群のやつらがほぼそろった形となった。
我ながら良く集めたもんだと感心した。
大分嘘もついたけど。(入部したらお前をセンタフォワードにしてやるぞ)なんてね。
センタフォワードは二人しかなれない。(笑)
そして、マンガのキャプテンよろしく、自分がキャプテンになり、いままで、一回戦ボーイだった志木中が
海山乗り越え、朝霞地区準優勝、県南部大会出場(いんちき審判のため負けた一回戦敗退したものの)をはたしのは今でも
誇りに思っている。

高校入学のとき、
まだ、サッカーの夢は捨てきれず、当時は浦和高校、浦和西高校、浦和市立高校が
埼玉でもトップの高校であった。
その中でも浦和西高校は、魅力的な高校であった。共学私服で大学のようにリベラルな校風、
また、全日本代表の西野さんが居たのも拍車をかけた。
入るのはけっこう難しいのに、
受験指導は一切しないある意味変わった校風であった。 
入学式のときに、校長がこの学校は受験指導は一切しないので、進学しても良いし、
就職するも良し。と言っていたのに思わず感激した。
なので、先生や大学入学を一番と考えていた友人には、この高校選択を”やめといたら”を連発された、
さらに其の学校に通学するには毎日二時間の通学時間である。
サッカー部が終わると、帰宅はいつも10時を過ぎていた。 今考えると異常である。 
朝練習があるときは、朝5時にでて夜は10時過ぎ。
今考えると、まるで管理職サラリーマン以上の過酷な生活だった。今振り返ると怖い気がする。
それをまるまる三年間、受験一週間前まで、皆受験で学校休みなのに、自分たちだけ
サッカーシューズの紐を結んでいたのを今でも覚えている。あほか?
早く見切りをつけて受験勉強しておけば?。。である。
このときも散々親父に早くやめとけを連発された。。
あれは今考えると、一種の宗教的な存在だったかもしれないな〜。。

その後何とか大学へ。。。
そこでもアホかサッカーやってたな〜。
最初は軟弱マジック研究会なるものに美人が多いと聞いていったが、自分に染み付いた体育会系の性格が邪魔をし、
馴染めずに一週間ともたずに、友人と一緒に辞めた。
で、やはりサッカーが忘れられずにサッカーグランドに。。。

授業はといえば、退屈な二年間が過ぎ、三年になって自分の専攻を選ぶ時期に。。そこでも無理でも一番難しい講座を選ぶことに、
あそこは朝九時から夜十時まで研究やらされるぞ。。
と”やめたほうがいいぞ”の連発。 そう言われると、へそ曲がりな性根が出てそこをやはり選択。
確かに本当だったが、其のときは実験が楽しかったので続けることは苦ではなかった。。
しかし、突き詰めると、自分には化学者は向いていないことがはっきり判ってきて、卒業間近で早々に就職を考え始めた。
そこの講座の大半は進学、つまり修士課程か博士課程に進むのがあたりまえのところであった。
やはり自分の実力以上のところを垣間見ないと気がすまない性格が災いしたのだった。はは。。。
そこで、自分はやはり化学者には向かないことが即判明して、就職への道を目指したのであった。
他の仲間は皆修士課程を目指しまた受験勉強していた。

その後、就職、某大手企業へ、そこでも持ち前の無茶な性格からか、新しいことに着手する部門をうまく渡り歩いて約20年
なにか、よく言えばチャレンジしてきた半生、悪く言えば自分の実力知らずの無茶苦茶半生。。
でもこのとき、レース界では名の知れ、で世界を相手にしてきた男が自分の上司になり、そのチームに引っ張ってくれたこと、
一緒に夢を見てきたことが(向こうは一緒と思って無いだろうけど)さらに、この会社の先端技術分野を担当してこれたこと。
これが私の誇りにもなっている。

それがまたニュージーなんぞに来てチャレンジ宜しくやっているのだ。。。。
懲りないやつですな。。。
Archives
Profile
Comments
Mobile
qrcode
Search this site
Sponsored Links
にほんブログ村 海外生活ブログ ニュージーランド情報へ
にほんブログ村